イェシュア(イエス)の

世界的な媒介者(チャネラー)

ティーチャー・ファシリテーター

ジェイエム・ハマー

- Jayem Hammer -

プロフィール

 

世界的に評価の高い神秘家、作家、講師、そしてティーチャー・ファシリテーターでもあるジェイエム は、宗教、哲学、心理学の分野において学位を持っています。25年間に渡り瞑想とヨガを実践し教え、出生前と出生時の誕生に係わるトラウマ等を含めたマインド・ボディセラピーにおいて高度な訓練を受けています。また、イェシュア(イエス) の「ライブ」を提供する「彼」の公式媒介者(チャネラー)でもあります。

癒しと目覚めへの最初の手掛かりから「キリストのマインド」へと辿り着くまでどんな人をもサポートするようになっている「地上で今まで決して見たことがない」パスウェイ(辿る道)という驚嘆するビジョンと目的をイェシュアはまずジェイエムを媒介者として伝え・伝授してきました。
 

ジェイエムは世界中を旅しながら、「マスタリーの道」の教え、つまり「キリストのマインド」への「パスウェイ」を通じて人々の意識を高めるために、ワークショップやリトリート、また聖地への巡礼の旅を提供しています。

 

「私はACIM(ア・コース・イン・ミラクルズ)を6年間深くコミットして学んでいました。そこでの指示にその通りに従って学び、私は身体ではなく、自由であること、キリストであること、「愛」であることを学びました。進化するにつれて、私は、この身体、この世界、そして周りの人々からさらに遠ざかりました。

そして、「恩恵」により、英国でのジェイエムとの「ハートの道」フェスティバルに参加し、私は、呼吸すること、「感じること」を学びました。そうです!「感じること」です! 身体を感じること、全てのものごとを容認すること、そうして初めて、自分は生きていると感じました。自分自身に、私は、「キリスト」であること、「愛」であること、「光」であることを生きること、それらを呼吸すること、そしてそれらを感じる許可を与えたのです。」 ~ A.L.

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ジェイエムのサイト

www.wayofmastery.com

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– ジェイエム(Jayem)語録 –

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意識の三地帯

 

私のワークショップに来る人々に伝えたいのは、私たちの住んでいるところは実際三つの「地帯」だけだということです:

一つ目の地帯は、「私は自分が正しいと分かっている」です。私たちは全員この地帯を良く知っています。これは閉ざされた箱です!! シャロン、ビン・ラデン、ブッシュ、ブレアは全員、「私は自分が何を分かっているかを分かっている」という地帯に住んでいて、もしあなたの分かっていることと対立する場合、問題が生じましたね! 

二つ目の地帯は、エゴが展開していて、適応・順応性をつけていきます。私は自分が何を分かっていないかを知っている。私は看護師になりたいが、私は看護師ではない。私は自分が何を知らないかを知っているので、今から学校に行って私が知らなければならないことを取得しに行く。 私は自分が何を分かっていないかを分かっている。 エンジニアになって橋を建設したい、ということは、私は認定証と学位を持っていなければならなくなる。私は既に何を自分が分かっていないかを知っているので、それを取得しに出かけよう。それが世界です。 

しかし、もう一つ別の地帯があり、そこからは例えようの無いほど幸せで平和に満ちたクリエイティブな人々が現れ、神秘家やマスター、聖人が輩出され、善良な母、父、ガソリンスタンドの店員が生まれます。この地帯とは:

「私は自分が何を分かっていないかを分かっていない!」

ここは、「私は何を分かっていないかを自分で分かっていない」と認識する意欲の地帯です。その神性な無知に安らぎ、驚きの中で自らを大きく開き、「神との調和」のパワーである「シェム」(Holy Spirit)を自らの意識に浸透させ教えをもらう。それを毎瞬、日々、毎週実践していく…すると、この無限で素晴らしい、エロティックで官能的、チャレンジングでショッキングで隠れた部分が明らかになる旅の壮大な美しさを味わい始め、その旅の間中、恩恵の腕に抱かれていたこと、そして恩恵はいつも間近にあったことが分かります。

「愛」はそれ自身強要しません。「愛」は招待します。「愛」はスペースを保ち、「ここにいるよ」と言いますが、相手が来るまで待ちます。まさに同じように、偉大なキリスト教神秘家のマイスター・エックハルト(Meister Eckhart)は、「神は私たちが近づこうとする分だけ私たちに近づく」と言っています。

また、生粋のスピリチャリティには、無防備さ、感じること、困惑を受け入れる意欲、熱望、許し、慈愛といった女性性の質(男性であろうが女性であろうが持っている性質です!)の開拓が必要だと全ての神秘家たちは発見していると彼は言い、次のように付け加えました:

 

「私たちは皆、神の母親になるためにある」
 

つまり、これは明らかに永遠の出産のプロセスのことを言っており、オープンになり、浸透される意欲、私たち自身より偉大な何かが私たちを通してその「神秘」を生み出すことを許し受け入れる意欲のことです。

イェシュアは、私たちの目的は「良きこと」・「聖なること」・「美しきこと」を産み出すことだと言っています。

内面の固さを溶かし、「分かっていないことすら私は分かっていない」と言う第三の地帯で生きれば生きるほど、女性性の練習そのものである神秘的な「指示」を受け入れることを通して自身の持つその質を私たちはさらに開いていきます。すると「神」が私たちの身近にやって来てキスをします。実際のところ私が確信したのは、マインドは個人的な意味を欲しがり、肉体はあれやこれやの満足感を欲している一方で魂はただ神のキスを求めているということです。


イエス(イェシュア)を理解するのになぜアラム語がそれほど重要なのかというと...
 
イェシュアが「柔和な人は、幸いである、彼らは地を受継ぐだろう」(Blessed are the meek, for they shall inherit the earth)と言った時、彼の原語であるアラム語の表現では、かなり深遠なことを表現しています:

 

「甦り満たされる者とは、内側の固さを柔らかくし、Rukha D’qoodsha(普遍的なスピリット)によって運ばれる人のことである。なぜなら彼らのマインドと肉体そのものが新しい目的で活力を取り戻し、息が吹き込まれるからである。」


なんだか違っていませんか? 決まり文句、または望ましいあいまいな約束というよりむしろ、私たちを変えるある種の行動を取ることについて語っています。

これはかなりの無防備さと今まで以上により深く呼吸をし、感じることへの呼びかけです! 壮大な信頼についての話であり、信頼は元来、女性性の性質です。つまり、私は自らを開き浸透され、私を使い尽くしたいこの「パワー」の前に、自らの柔和さの中で無防備になりますということです。

生粋のスピリチャリティとは、伝統的な教義や新しい信念体系で私たちの人生を単に解釈したものに固執しない、神秘的な旅であると私は強く感じています。お分かりのように、伝統的な宗教(およびニューエイジの信念体系!)は単に私たちに解釈をもたらすものです:

私たちは物事を新しい概念で解釈し、自身のそれらの理解に固執します。しかしこれは実際のところあの「古い同じ宗教」が単に新しい衣を着けているに過ぎません!

生粋のスピリチャリティとは、単に解釈に役立つものではなく、変容させる力があります。魂が少しずつ変容していく上で、その旅として必ず通らねばならない普遍的なテンプレートがあり、それは永遠の輝きへの変貌が起きるまで存在します。

この変貌はイェシュアの、「キリスト」の「道」の「呼びかけ」です。それは、「道」の「呼びかけ」です。「神秘を愛する人」とは、「内面の固さを柔らかくする」この旅に自身を委ねた人のことで、その根本は「分かっていないことすら分かっていない」という地帯の驚くほど深いところにあります。私たち自身のケースにおいてその事がより展開していけばいくほど、頬のくぼみがもっとジューシーなフレンチキスとなり、ついには、魂が「神」との広大無限の交流を全面的に信頼します! (もしそれがカチンとくるなら、原理的キリスト教があなたの細胞のどこかにしっかり沈殿しているということです! リラックスして、「神」を単に信仰するのではなく、神を感じたいと思っていいのですよ!) 

このような「道」は全ての宗教における正統派や原理主義派にひどく嫌われます。いつも社会の隅っこに追いやられてきました。それでも、例えばもしある人が、イェシュアの母語であるアラム語で本当は何を教えたかを探求したい時、また、あなたが「彼」が『A Course In Miracles』(コース・イン・ミラクルズ)の原作者だと信じなくても、あるいは私を通してのイェシュアの「教え」を「単なる怪しいチャネリング」として却下するとしても、なんであれこの「道」は明らかに「キリスト」の「教え」の中心かつ真髄にあります。

個人的には、防御、説得のどちらにも興味はありません。私のワークは、仕えることです。そして、「人類」に明らかに浸透して変貌を起こしているこの偉大な「神秘」以外の何ものにも段々と興味が薄れていく神秘的な変容の道において、これは不可欠です!

受け取ったものを与え分かち合おうというハートを持つ人間に変わらざるを得ません。イェシュアはこの段階を『the Way of the Servant』(仕え人の道)と呼び、時空の領域においてなりえる最も高い最終の段階だと言っています。

この神秘的な流れはまた、全ての伝統的教義においても見られます。西洋では、グノーシス派の教書の中で表現されているものもあり、現在では、より深く人間の意識の中へ再び入り込んできています。例えば、『ダ・ビンチ・コード』は、機知に富んだ架空の物語を作るため興味をそそるいくつかの情報を単純にいいように削り取って使っている映画ですが、生粋のスピリチャリティにおいて非常に重要な「女性性」の知られざる性質に意識を向ける助けとなりました。

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「神秘を愛する人」(ミスティック・ラバー)とは?

「ミスティック」とは、ミステリウム(mysteryのラテン語)またはミステリー(神秘)が語源です。つまりミスティック(神秘家)とは、思考、神学理論、形而上学理論を越えてもっと身近に「神」を知りたいと自身の存在のどこかで望んでいる人のことです。神秘家とは、内面の固さを溶かす訓練を意志を持って開拓・開始し、この女性性が持つ受容性とサレンダー(自身を委ねること)の能力を開拓していく人です。それが瞑想、ヨガ、太極拳等何であれ、氷を溶かす助けになる方法はたくさんあります。

ここで大事なことは、「実際全ての人の中には気づいてくれるのを待っている普遍的で高い次元の意識がある」と全ての文化と神秘的流派が伝え・明かしていることです。これは信念の問題ではなく、直接体験の問題です。全ての神秘的な「学校」では、「指示」が与えられます。これは招待なのです:

 

もし、信念から直の"会得"に移りたければ、 
神秘的な錬金術をもたらす道をとる必要がある; 
つまり、意識それ自体の抜本的な変容の道である。

 


全ての宗教の流派には神秘派が含まれています。ヒンズー教のように、宗教の中にはこの派がより際立っているものもあります。西洋の3大宗教である、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教では、このような神秘派は埋没される傾向にあります。これには文化的な理由があり、複雑になってしまうのでここでは述べません。要は、信念の公教的形式と奥義派・神秘派があり、後者は単なる信念の受け入れを超えて、「神」を直に錬金術的に知ることを探求します。

イスラム教では、神秘派はスーフィズム(神秘主義)として知られています。HafizやRumiの話を聞いたり読んだりすれば、スーフィーの道について少し分かります。

ユダヤ教では、神秘派はカバラ(Kabbalah)で見出せます。 

多くのキリスト教徒にとっては驚くべきことに、カトリック教会により是認され支持されている(公表はされていませんが!)長年に渡る神秘的な流儀が実は存在します。残念なことに、"公教的キリスト教の他の半分を占める"プロテスタント主義では、このような神秘派は実質上全くありません。そして西洋社会の支配的・優勢的な宗教はこのプロテスタント主義です。

イェシュア(イエス)は神秘家だったのかというと... 

「そうです」という以外の答えを私は持っていません。「彼」の聖書の教え(と活動!)ですら、単なる信念や仮説を超えたものへの絶え間ない呼びかけです。過去17年間に渡り私の教師、道案内人として「彼」から直に学んだ体験を除いても、「彼」が先頭に立つ神秘家でないと言い切るのは不可能です。例えば、『A Course In Miracles』(コース・イン・ミラクルズ)では、「彼」は次のように述べています:
 
「普遍的な神学論は不可能だが、普遍的な体験は不可能ではない。」

聖書では、彼は人々にこう力説しています。「まず、内側にある王国を求めなさい。そうすればこれらの全て(神秘的な"会得")はあなたに与えられるでしょう。」

「彼」の原語であるアラム語での聖書の教えを学ぶ中でより一層はっきりしたのは、彼は「神秘的な教師」であり、各自のケースにおいて、深く個人的で親密な「神」と「一つたること」を確立しそこから機能していく方法を人々に専ら示していたということです。
 

私自身が神秘家かどうかというと...  

私個人の旅が本当に始まったのはベトナムにいた時で、当時19歳でした。格段にひどい地獄のような戦闘の後に、ある体験をしました。その夜、避難壕を掘っていた時、突然(今はそれが広大無限の意識の瞬間だったと分かります)自分が文字通り無限に広がっていく感覚を覚え、個としての分離の感覚が全てなくなり、自分は夕焼けであり、木々であり、これらの全てだと感じたのです…そして次に気づいた時は、なんと、シャベルを持った19歳の兵士である自分に戻っていました。しかし、シャベルは真っ黒だったので時間の感覚の無いまま一時間ぐらいそこにずっと立っていたのだと思います。掘った避難壕に入り、「神よ、もしこんなことがあるというなら、あなたが何者で全くどういうことなのかを知る必要が僕にはある。」と言いました。答えが得られなかったので、そのまま怒った19歳に戻り、「こんちきしょう」と言い放ちました。

でも学んだことは、やり方はどうであれ私たちの誰もがそのような祈りを発した時、実際「神」は既に「よろしい」と答えてくれています。そして私たちに浸透し、この本、あのティーチャー、そして超自然的でタイムリーな体験等を用いてベールを剥いでいきながら導くというプロセスを開始し、私たちが「いのち」という「神性」を感じそれに触れ始めるまでそれは続きます。私たちは和らぎ始め、「なるほど」とうなずき始めます。10年あるいは15年、20年後、「なんてことだ。何かが私を拾い上げ、私を完璧に運んでくれている。それに気づいてもいなかったのに。」と私たちは言います。それが「アラハ」(Alaha*)のハートから流れ出ている「神」の「叡智」である「シェム」(shem *)です。「アラハ」(神)は、「それそのもの」の創造物に浸透し、より親密な連帯、身近な理解、深いサレンダーへと導き、無限でどんな思考も理解し得ないあの「輝く神秘」へと誘うのが大好きです。 

つまりそのようにして私の旅は始まり、30年以上たった今、様々なヨガや瞑想修行、心理学、あらゆること、そしてリビングルームに「光」のフィールドの中から私のところに訪れ現れたイェシュアとの体験(すぐに謙虚になるとはまさにこれです!)を通して、私は「神」の「神秘」を非常に愛するようになりました。

お分かりのように、私は「指示」を受け入れ、単なる意見や信念を超えていくように呼びかける「神秘的な声」に応えました。そしてそれ以来その「神秘的な流れ」が私を運んでくれています。神秘的な旅は簡単ではない(少なくともエゴにとっては!)ことを知っておくことは大切ですが、自らその流れに自身を任せない限り、それが何かを知ることはできないというのは確かです! 

そうです。神秘家とは、私たちが「神」と呼ぶ「神秘」をとても深遠に愛する人のことです。

キリスト教がイェシュアの偶像を作っているのは興味深いことです。なぜなら、聖書には下記のようにさえ記されているからです:

イエスの使徒が彼の行為を賞賛した時、イエスはこう言いました。「私を素晴らしいと呼ばないように。素晴らしいのは、『神』という存在のみである。」

実際は、彼はアラム語で話し、「アラハ」、つまり「広大無限のワンネス」、「神秘」と言ったと思います。彼は実際に「アラハ」と調和に入る方法を 「Rukha d'qoodsha」(普遍的なスピリット)との一体を通して教えています。このプロセスを私のワークショップやトレーニングでは、 「LovesBreath」(聖なる愛の呼吸)、「One Cosmic」(一つの無限)、あるいは「Holy Breath」(聖なる呼吸)と呼び、ここから全「創造物」が生み出され維持されています。明らかに、イェシュアは使徒たちにつまり私たち全員に知らせるべく、「彼」にとって非常に重要なことを語っていました:

「私はたんなる導管であり、あなた方もそうなれる。」 

早速彼は台座に座らせられることを拒否し、「素晴らしい存在は『神』のみである」と言いました。(自我を出発点とし擬人化した「神」というアイデアから私たちが離れられればの話ですが)。皆さんと私は媒介・導管になるためだけに創られていて、媒介・導管になることで、私たちを通して流れるものをもっと受け入れることができ、またその受け入れ方を見つけることができます。とはいえ、生粋のスピリチュアリティにおいてはとりわけ重要なことですが、そうなるには莫大なエゴの誘惑に出会い、私たちは「あの偉大な存在」そのものではないにもかかわらず、多くの代替の教えやニューエイジにそういったエゴの誘惑が妙に入り込んでしまっています。私はあなたと同等であり、あなたは私の兄弟、姉妹。さあ、一緒に「神秘」の中にさらに深く入って行きましょう。次のシンプルな逆説は、はっきりと完璧にそれを解明しています:

「神」のみが在り、私は「その存在」ではない。よって私の唯一の
「自然な」方向は、「その存在」に献身的に自身を委ねることにある、
「その存在」だけが、「在る」。

 

楽しんで時間を使ってこれを熟考してみましょう!
 

なぜこの「パスウェイ」を「神秘を愛する人の道」(Way of the Mystic Lover)と呼ぶのか、また、これが「タントラ」かどうかについてですが... 

「タントラ」の真の深い意味合いにおいてのみ、そうだと言えます。残念ながら、西洋では、「タントラ」はセクシャルヒーリング、ワイルドなパーティーといった類のものに結び付けられています。しかし、これは「タントラ」のほんの狭い側面に過ぎません。とはいえ、セクシャリティーの癒しと統合は全ての本物の覚醒が起きる上で重要です。

私たちが、怖れや抵抗、痛みの部分を溶かせば溶かすほど、「愛」と呼ぶ以外にないこの「輝ける存在」にますます自身を開いていきます。それを「愛」という以外に言いようがありません。他の言葉ではうまく言い表せないし、今ここで私たちを取り巻く全てに空気を満たしてくれているので、いつでも好きな時に私たちはただ息をして空気を受け取ることができます。つまり、いつでも望む時に「神」に愛してもらうことができるのです!

それゆえ、「神秘を愛する人」とは、「神秘」を永遠に愛する道を開拓した人であり、驚きの目を持って生き、決して終わることなく、決して閉ざされた囲いの中で暮らさない人のことです。祝福の中でワイルドに踊りながらエクスタシーの中で甦ることにも、暗闇と絶望の深みのどん底に落ち何度も何度もこなごなになることにも意欲を持つ、つまり、永遠に無限の生誕のプロセスに自身を委ね、毎瞬のその瞬間を「徹底的に」愛する意欲を持つという意味です。 

「神秘を愛する人の道」の「指示」を受け入れたなら、ゆくゆくあなたは怖れを本当に超えて、自身のキリスト性を見つけるでしょう。それは、あなたの深い真実の部分であり、人間の経験の全てを受け入れ、「霊的な存在」の真のパワーをその全てに見出し(そして運ぶ)ことができます。そうなると突然、「神」に関する聖書の記述が驚くほど自明の理となります:

 

そして神は全ての「創造物」を見てこう言われた: 

見なさい!非常に良いではないか!

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「道」について...

 
「神秘的な道」にとても大切なことは何でしょうか? なぜ、「道」が必要なのでしょうか?


人類は大きな危機に面しています。人間の持つ女性性に溢れたより神秘的な能力から分離した結果どうなったかというと、生物圏の破壊、暴力・戦争の継続、神経症の病気の増加を見れば明らかです。

広大無限な領域(Cosmic Field)、またはRukha d'qoodsha (普遍的なスピリット)が「本物」に変わる代替物によって汚染されているのです。

私たちは、「神」の「神秘」を直接身近に感じたいと何百万人が求めるようハートの奥から彼らを触発する必要があります。なぜならここでのみ、「分離」を終わらすことができるからです。「神」の「神秘」の中で満たされていると感じる時、人は、地球が自身の体であり、全ての人々が自身の兄弟・姉妹であることが分かります。

世界のあり方は「Blue Pill」(青い錠剤)です。「The Way of Mastery」(マスタリーの道)は、人間の原型的な精神を表した優れた映画『マトリクス』から例えると、「Red Pill」(赤い錠剤)への機会です。

この「道」を生き始めることは、「大きな魔術」から目覚めることです。それにより、全てが変わります。全てです! でも、言っておきますが、この「旅」を終える人は、それを始める人と同じではありません。なぜなら、その人自身がその「神秘」を一層求めて果てしない「生誕」のプロセスの葛藤に携わりながらも、「神」の、つまり「神秘」の「仕え人」になるからです。 

イェシュアはかつて私にこう言いました:
 
「スピリチャリティに最初に入ってくるのはエゴである。エゴは、それが欲する平和のようなもの、パワーの形がここで見つかると信じている。分離した自己という幻想が解け、そこにキリストが生誕している時、エゴは自身の終焉に向かっていることを分かっていない。」

そして、そのことが起きるにつれ、私たちはさらに「仕え人」へと「変えられ」、それは挑戦的です。しかし、私がベトナムにいた時避難壕であの最初の祈りを捧げたように、私たちが祈りを捧げた瞬間からずっと、恩恵は私たちを抱き上げてくれており、そして「神」は私たちの魂の最も深い祈りの答えへと私たちを送り込んでくれます。

最終的には全ての人々の中で目覚めるこの深い内面の「呼び声」に応えていく旅において、私自身のケースで徐々に分かったことは、生粋のスピリチャリティは本当に私たちを変容させるということです。私の場合を見ても、いかに私は「分かっていた」と自分自身(と他の人!)を納得させていながらも、自分の人生がまだ区分されていたのが見え始めました。簡潔に言うとこうです:

酔っていながら、正気とはどういうことかについて私は話しをしていた!
 
残念ながら、宗教やニューエイジ主義においてこれは猛威を振るっており、正直なところ社会全体にみなぎっています。

イェシュアに「自分の言ったことに対し実際行動で裏づけをしなさい」と言われ、最初は驚き、謙虚になり、チャレンジを受けました! 

どういう意味かというと?良く聞いてくださいね:

スピリチュアルな人生とはその全ての側面において変容した人生のことであり、一部だけ変容していることではありません。純粋にスピリチュアルな人生の道を送った自然な結果を表す言葉として「シームレスな人生」 (seamless life)という非常に洞察に富んだ(そして意欲をかき立てる)表現を使うようになりました:

「シームレスな人生」とは、自身の仕事、キャリア、遊び、そして人類の癒しへの貢献が全て一貫した一つの流れに統合された人生のことです。

それは、目指すゴールであり、そしてスピリチュアルな変容が多かれ少なかれ確立された兆しでもあり、この人生が続く限りそこから魂がその創造性と貢献を展開し続けます。

これは取り組み甲斐のある考えです!なぜなら、もし私たちの暮らしが自分で分かっていると言っている事と合致していないなら、自分は思い違いをしていると言っていることになるからです。つまり、まあ、皆さん自身のケースでこれを熟考してみてください:

あなたはシームレスな人生を実現してそれを生きていると正直に言えますか?

もしそうでなければ、失礼ながらまだあなたの旅は終わっていないと思います。実際、どんな魂も一貫して「神」から創りだすまで、本当に「神」を全面的に信頼できていないと思います。

あなたの受け取るお金が覚醒の務めにおいて人々にサービスを提供することから直接流れている時、あなたの意識が人生の全てにおいて区分が無い領域に達している時、あなたの行い、サービスの提供の仕方、創りだすもの、そして生計の立て方がシンプルにあなたの「真の自己」からのものである時、あなたはシームレスな人生を実現しています。

別の方法で思い違いをしないことが最も大切だと思います!シームレスな人生は、多様な形態を取りますが、私たち自身の独自の存在の内面から形になるものです。

これは、イェシュアが次のように言った時の一つの例だと思います:

「彼らの産物をみれば、彼らが分かる。」

私たちの人生は人類の癒しと覚醒に貢献していますか? それとも私たちは貢献している時とそうでない時があるという両方の立場で生きるのでしょうか?
 
これが挑戦的に感じられるのは分かりますが、そうである必要があります!「道」への呼びかけは、密かに全ての人間が体験したいと思っていることです。さあ、いそがしくなり、あなたを通し「道」が実現され、示され、知られるようになりましょう! 

このようにして、スピリチュアリティは最終的に地上に足を下ろしたといえます。そして「私は『真の自己』を完全に体現した!」と言って差し支えありません。

「Way of Mastery」(マスタリーの道)が伝えていることは、このことなのかというと...

基本的に、そうです。この「ワーク」がイェシュアの導きの元に現在の段階までたどり着くのに17年以上かかりました。「彼」の手が私の舵の上にのっているのに気づいていない時も含めてです!

「マスタリーの道」は、魂の発展的な成長の全帯域に対処する教育的な方法を開発・提供します。これは、上に昇って出で行くことではなく、降りてきて中に入ることです。

イェシュアの教材と、多数の年月をかけて私がマスターするように「彼」が導いた経験に基づく「ワーク」は、キャリアからコミュニケーション、人間関係、そして貢献にいたる人生の全ての側面に本当に対応できます。

そして、強く呼ばれた人たちのために、私たちは「道のリーダー」として認定していく充実した深いトレーニングとファシリテーションスキルを開発・提供していきます。これらのリーダーまたはティーチャーは認定され、『Way of the Heart』(ハートの道)の勉強会、「LovesBreath」 (聖なる愛の呼吸)、「Radical Inquiry」(根元の探究)をリードし、この「ワーク」を人々のために提供しながらシームレスな人生を具現化し始めます。

中には、彼ら自身のスクールをスタートさせるライセンスを取得し、この「道」のティーチャーを育てる権限も与えられるリーダーも出てくるでしょう。

このようにして、イェシュアが私を通して生み出し始めた「ビジョン」が、それ自体で「彼」のビジョンを完成させていきますが、『山上の垂訓』の別項を見ればこれがはっきりします:

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから」
 

これをイェシュアが実際に語ったアラム語で探っていくと、非常に奥義的でパワフルなものを見出します:
 

全きさ(wholeness)を取り戻した者とは、呼吸と感じることを通して
内面の調和が取れた人々のことだ。
彼らを通して、「神」の新しい「創造物」のためのチャネル(導管)が切り開かれる。

 


少し深めてみましょう!分かりますか、「彼」は私たち全員に、深く本質的で錬金術的な変容のプロセスに自身を委ねるよう熱心に説いています。そうすれば、私たちはますます人類と世界の変容・変貌のためのチャネル(導管)になれるからです。

人類の悟りのためのチャネル(導管)を深く切り開くために、この「ワーク」が貢献するようにと「彼」はずっと「ビジョン」を抱いてきました。しかし、もし川の流れ(「神」からの「流れ」)が力を増し非常に長く側にいることになるなら、チャネル(導管)を深く切り開く必要があります。それは時間がかかります!「切り開きの名人」としての非の打ち所の無いスキルが必要です。そして、イェシュアはまさにその名人です。

この「ワーク」で展開している事は、「彼」の「ビジョン」の新しい次の段階に他ならず、人類の「アトーンメント」(「分離の夢」が展開されている無数の次元の全領域に「光」が浸透し、「神との分離感」を訂正するプロセスが起きている。それにより、全ての創造物が「一つたること(Oneness)」を完全に思い出し、「分離感」が全く無くなること)を目指した「彼」の計画の一部です。私はその「創造者」ではありませんが、その仕え人です。「彼」が導いたところに私は行ったため、どれほど深くこの切り開きを行う必要があるかよく分かります! そして、一番大切なことは、私の「ワーク」は少しずつ拾い集められた全てのものを提供するものであり、どんな人の癒しと覚醒の旅でもめざましく効果的に促進させます。リーダーシップ教育プログラムの開発により、人々が各自の神性な目的に目覚め、世界の中へその目的をどのように根付かせるかを見つけていく手助けとなるでしょう。 

そして、「The Way of Mastery」(マスタリーの道)と呼んでいる「彼」の「ワーク」に沿って他のティーチャーが育成されています。

賭けは大きいですが、旅の終わりは確実です。私たちは皆一つの理由のためにここにいます。それは覚醒し、癒し、仕え、神の新しい「創造物」のためのチャネル(導管)を自分の中に開拓することです。それが「新エルサレム」、「地上の楽園」あるいは「アトーンメント」と呼ばれようと、加速しており、必要性は多大です! 

「マスタリーの道」は、愛すること、仕えること、癒すこと、覚醒すること、そして全ての人が自身の魂の奥で直感する「ビジョン」を生きることです。見てください、その時はすぐそこです。​

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